増益

増収増益の鉄人:5
キヤノン高収益復活の秘密
御手洗冨士夫

御手洗社長は、平成の名経営者第三位。95年キヤノン社長。現在、日本経済団体連合会副会長、政府の知的財産戦略本部のメンバー。御手洗改革は8400億円を超える有利子負債を抱えていたキヤノンを、この10年の間でトヨタに匹敵するエクセレントカンパニーへと変えました。今月は、御手洗社長の講演録を圧縮編集し生の声を再現します。

1935年生まれ。95年キヤノン社長。連結売上 3兆5000億円、経常利益が5500億円(2004/12)

キヤノン発展の歴史

キャンノの歴史を見るとは二つの基本的な経営戦略を展開してきました。

その一つは、国際化であります。今キヤノンのグループは全世界で257社ありますが、日本に54社あって、203社は海外に展開しております。従業員が約10万3,000人おりますが、そのうちの45%弱が日本人で55%強が非日本人であります。売上も2003年12月が3兆2,000億円ぐらいになりますが、比率から言いますと、日本が25%、海外が75%という形態になっております。

もう一つの経営基本戦略は多角化であります。キヤノンはもともとカメラの会社でした。しかし、その後カメラだけではやはりいけないというので、多角化の宣言をしました。まず電卓、70年代には、トナーとかインク、複写機をつくりました。80年代になると、それに通信の技術を加えてファックスをつくりました。キヤノンは自社にある技術を深く耕しながら新しい技術を加えて、その複合技術の上に新しい製品をつくり、多角化の各事業に合わせて事業部制を採用しました。こうやってキヤノンは大きく発展していったのであります。

しかし各事業部が独立性を強めまして、それぞれ企業内企業になってしまった。お互いの連絡がうまくいかなくなった。また、ある事業は景気が悪くて人が余っているのに、ある事業部は人が足りない。それにもかかわらず、足りない事業部はどんどん人を雇っていく。事業部制の劣化が見えてきました。組織において、どんな制度でも必ず年月がたちますと制度疲労を起こすものです。

御手洗大改革

私は66年にアメリカへ行きまして89年に日本に帰ってきました。95年には社長になりました。まず私が社長になったとき、一番大きな問題は借金だらけだったことであります。キヤノンの歴史の中でも最高の8,400億円ぐらいの大借金を抱えた状況でありました。この財政の建て直しのために、私は二つのこと行いました。何をやったかというと、部分最適から全体最適、もう一つは考え方を売上優先主義から利益優先主義に徹底的に切り替えたことです。

全体最適への転換

本社と子会社の壁

まず、全体最適への転換です。先ほど言いましたように、部門がばらばらでしたので、「部分最適から全体最適へ」と考え方を変えていこうとしたわけであります。つまり事業部の都合よりは、会社全体の利益が優先するんだということを徹底的に説いて回りました。そのことを実行するためにまずいろいろな壁を破らなければなりませんでした。二つ壁がありました。一つは、本社と子会社の関係です。キヤノンは製造と販売が会社として分離しておりまして、販売は全世界子会社になっております。従って、本社は、どんなものでも作って、そして子会社に押し付ければ、本社の決算はできる。売上も利益も上がる。そうすると、販売会社は協力しろと言われるために無理なことをして買うわけです。それで、私はその壁を破るために連結決算重視を打ち出しまして、連結決算による連結評価と言うものをいたしました。カメラならカメラというディヴイジョンを子会社を含めて世界全体の成績を連結で見るという方法を取ったわけであります。こうすると本社の事業部も世界中を回って一緒になって販売会社と売り歩くようになりました。今までの本社と販売会社は対立関係から協力関係になって、在庫が減りました。何と全世界で84〜85日あった在庫が54〜55日ぐらいに、2年間で約30日分の在庫が減りまして、これだけで2,500億ぐらいの資金が浮いてきました。

キヤノン本社と販社の一体化

事業部の壁

もう一つは、事業部間の壁をなくすために各々の事業部長に、自分のラインの仕事以外に、会社全体の横断的な仕事をさせることにしました。例えばキヤノンには、6事業本部・15事業部ありますが、この全事業部の開発のスピードを上げるということをテーマにする、あるいは在庫を把握しやすくするために、事業部をまたがって一つの体系で製品番号を付けていくというような仕事、あるいは生産の革新を全事業部共通でやっていく、そういった会社全体をよくするための横断的な委員会をつくり、その委員長にそれぞれカメラ事業部長とか複写機の事業部長とか、そういうラインの責任者を当てたわけです。そういうふうに縦の仕事と横の仕事を兼任させることによって、お互いの協力関係が生まれてきました。このように、子会社と本社あるいは事業部間の縦の壁を破ることによって、何とか会社全体が一つになって動くシステムができ上がったわけであります。

利益至上主義へ

不採算事業部閉鎖

もう一つ大きな変革は「売上至上主義から利益至上主義へ」と言うように考え方を変えました。そこでまず第一にやったことが、七つの不採算部門を閉鎖することにしました。これによって約734億円の売上を失ったんですが、同時にそこから毎年発生していたら280億円の赤字も消え去りました。

キャッシュフロー経営

次に、きちっと目標管理をしながら、目に見える形で利益を管理していくために、よくアメリカの会社がやるのですが、キャッシュフロー・マネジメントというものを導入しました。多くの会社は、損益計算書で会社の成績を見ていきます。しかし、損益計算書というのは在庫の評価のしかた一つでその数字が大きく変わってしまいますから、かなり恣意的なこともできる方法なのです。それに比べますと、キャッシュフロー・マネジメントと言いまして、現金を中心に会社の利益の流れを見ていくという方法はごまかしようがありません。

生産革新活動

私はまず不採算部門を切ってしまったのですが、次に利益を生むために何をすべきかということです。これはもちろん値段を上げればいいんですが、これは市場の競争がありますから、なかなか値段は上げられない。そこで製造原価を安くしようということで取り組んだのが生産革新活動であります。先ほど言いましたようにプリンターの事業部長を全社横断活動の生産革新の委員長にして、そのプロジェクトを開始し、まず、ベルトコンベアー方式に代えてセル方式という生産方式を取り入れました。セルとは「細胞」という意味ですが、各々20人から30人がグループになって、肩と肩をくっつけて立ったまま仕事をするというシステムです。セル方式では、一人一人の習熟度が上がってだんだん加工が速くなってくると人がだんだん減ってきます。今まで50人いたのが、1年もすると20人で済み、さらに1年たつと10人ぐらいなります。これによって、生産性があがりキヤノンは過去5年間で理論上約2万人の人間を削減しました。効率化された労働力は増産対応に振り向け解雇された人はいません。これによって年間約220億円の労務費のコストダウンが行われました。

現場のアイデアを日々取り入れ「マルチセル」へと進化したセル生産方式(阿見)

また、カンバン方式というのを取り入れまして、必要なときだけ必要な部品を取り入れるようになりました。これにより在庫が5分の1、仕掛品が4分の1、部品が3日から6時間に減り、工場の運転資金が3分の1以下になりました。これによって千数百億円の資金が浮きました。

開発の改革

そのほかにもう一つ、開発の改革もやりました。今まで二次元CADから三次元CADに変えました。そして設計スピードを上げました。それによって、設計期間、開発期間が18カ月から12カ月に短縮し、6カ月間早くなりました。キヤノン製品の市場での寿命は大体2年間です。2年間過ぎると陳腐化して、あとは価格競争に巻き込まれてしまいます。ですが、開発期間が短縮されて、価格競争に巻き込まれる前に、製品を変えていくことができるようになり、市場で利益率が保てるようになりました。同時に、設計の品質が上がったために、設計ミスによる工場での損品コストが300億円ぐらい下がりました。

三次元CADで開発時間の短縮し、プロセスをも革新

こうして開発・生産の革新をやったおかげで、95年には原価率62%だったのを、現在48%ですから、約13〜14ポイント原価を下げることができたわけです。このように利益体質に変わり、経営努力によって資金を浮かしたということで、約8年間で7,000億ぐらいの借金を返しました。

コミュニケーション

初期の財務体質の改善というものは一応終わりましたが、あとはコミュニケーションの問題だと思います。コミュニケーションをよくする上で最も大事なことは、私は「回数」だと考えています。私は毎年少なくとも1回ずつ、14事業所を必ず回って工場見学し、方針を述べ、報告を聞くということを繰り返しています。また毎月1回、800人の幹部を集めて、仕事のレビューと方針徹底をしていますし、それをホームページで誰でも見えるようにしています。

終身雇用に強み

キヤノンは終身雇用を採用しているとよく言われます。終身雇用によって、社員が雇用不安を抱くことなく、落ち着いて仕事ができるようになります。また意思の伝達がスピーディーに行われ、経営スピードが非常に早いという特色があります。

賃金体系は実力主義そのものです。男女の差がないことは当たり前ですが、学歴の区別もありません。中学卒で10年、高卒で7年、大卒で3年、つまり25歳になったとき、一斉に幹部候補生の試験を受け、受かった人は1つ上の等級に移ります。2回そういうことを繰り返して、あとは実績主義。40歳になると、同期で成績のいい人と悪い人と倍ぐらい給料が違うという給料体系を持っています。従って、終身雇用ではありますが、社内では激烈な競争社会です。皆、非常に切磋琢磨しています。その一つの証拠が、パテントの取得数だと思います。約8万件のパテントを持っていますが、特にアメリカではこの20年間、5位以下になったことがありません。

これから

これから何をしようかですが、私は二つのことをやろうと思っています。一つは徹底的な製品差別化です。そのために製品を支えている基礎技術、例えばデジタルカメラだと受光素子、そういった基礎技術に徹底的に資金を投入し、また設備の入れ替えをやり、いつでも新しいものを生める研究開発の体制と施設の構築を目指しています。

さらには、第2の拡張期に入ろうと思っています。例えばM&Aでキヤノンにない技術を持った企業を買い取り、国際的な多角化をします。子会社を各々独立した製品を持つ会社に育てようと思います。

(文責:公認会計士 梶間栄一)
※原典:御手洗冨士夫氏講演録
@ 2003.12.9明治大学(※御手洗氏は明大出身)
A 2003.4.19内外情勢調査会の全国月例懇談会