増益

増収増益の鉄人(4)
お待たせ 日産会長 カルロスゴーン氏

今月紹介のカルロス・ゴーン氏は日本経済新聞が2004年1月に実施した「平成の名経営者ランキング」投票結果で総合第1位となりました。日産再建を軌道にのせたゴーン氏は今や時代の寵児になっています。長い間実質赤字が続き倒産寸前まで追い込まれた日産自動車をわずか数年で蘇らせたその手腕が高く評価されたのです。では、ゴーン氏のやったことを見てみましょう。

1954年生まれ。99年6月、日産自動車CEO。2003年6月共同会長。日産自動車売上7兆4292億円、経常利益が8096億円(2004/3)

優れた選択と集中
縦割り組織→CFT

従来の日産は、強い縦割りの組織でした。ゴーン氏は、各部署から中堅社員を集め、CFT(クロスファンクショナルチーム)と呼ばれる横断チームを組織し、そのチームで様々な議論をして再生計画を練り上げました。ゴーン氏の狙いは各部署の縄張り意識をなくすことでした。このCFTという組織は現在も続いており、日産の変革を担っています。

2つの過剰
〜設備と雇用のリストラ〜

また、本業である自動車事業に貢献しない資産をことごとく売却しました。日本特有の銀行との持ち合い株、土地、ゴルフ場、すべて売却しました。過去からのしがらみを絶ち、すさまじいばかりのカットを行いました。倒産寸前の日産を救うにはそれしかなかったのです。さらに工場については2002年3月までに3工場・2ラインを閉鎖しました。

閉鎖された埼玉県村山工場。1962年に操業を開始し、スカイラインやマーチなど日産の 主力車種を生産してきました。

人員については2003年3月までに総労働力の14%(2万1千人)を削減しました。ゴーン社長は、日本では終身雇用は、ルールではなく、一つの目標だと考えています。企業は雇用の確保に努めるべきですが、市場の現実に対応する必要があり、日産は、残念ながら人員削減を実施せざるを得なかったのです。ただ、その衝撃を和らげるため、ゴーン氏は早期退職制度や配置転換など、建設的、また人間的な方法も考慮しました。

系列解体
→取引先の絞り込み

サプライヤーとは日産の系列部品メーカーです。日産は1995年以降年々拡大する自動車市場で十分な生産量を確保ために、多くの部品メーカーに資本参加しました。いわゆる系列化です。こうして、組み立てる自動車メーカーと系列部品メーカーが一体となって新たな技術開発を進めました。しかし、サプライヤーを1145社から700社に絞り、それらの効果で購買コストを20%も削減し、そして選ばれたサプライヤーには取引量を増やすことを保証しました。ゴーン氏はコストカッターと言われました。

ブランド力回復

しかし、ゴーン氏は単なるコストカッターではありませんでした。一方で、将来に向かって資源の集中を着々と行いました。自動車の商品開発には、2〜3年の期間が必要です。日産の再建がなってから新商品開発に着手したのでは、それだけ時間が遅れてしまいます。そこで、ゴーン氏はコストカットで得た資金を、借入金返済に回すと同時に、将来の事業開発に着実に投資しました。ここ2〜3年の新車発表の数の多さがそれを示しています。

さらに2003年5月には、10億ドルをかけてミシシッピーの工場を稼動させました。ゴーン氏は単なるコストカットではなく、次期商品戦略も見据えた、見事な選択と集中を実行しました。

キャッシュフロー経営へ

ゴーン氏は「いざとなればメインバンクが何とかしてくれる」という甘えを取りませんでした。日産にはバブル期の異常なまでの設備投資と、それを後押しした金融機関がいました。その後始末をつけようとしたのが92年に社長就任した辻義文氏で、リストラ策に踏み切りましたが、一時的な回復にとどまり有利子負債を減らすことはできませんでした。

リバイバルしたフェアレディZは人気をはくした。

ゴーン氏は人と設備の両リストラで、2003年3月までに有利子負債1兆4000億円を7000億円に削減しました。

さらに、日産グループ資金を日産本体で一元管理して、異常な借金で経営をやりくりする仕組みをなくし、キャッシュフローだけを考えた経営を限りなく実現していきました。

【梶間のズバリ一言】

ゴーン流経営にマジックはありませんでした。しがらみをたち切り仕入先・社員・設備をリストラした分、他方でブランド回復に力を入れました。実行面は、自ら先頭に立って働きました。日産の社員はゴーン会長を「7−11」(セブン・イレブン)と呼びます。ゴーン氏が朝早くから夜遅くまで働いていたからです。